町内案内したとき、社交辞令も含まれるとは思いますが、
「素晴らしい景色ですね、都会では見ることができません。
癒されるし、こういう景色を見るために来る方も多いんではないでしょうか。」
といった言葉をもらいました。
景色の素晴らしさは、少なくとも観光地として有名なところは、
大抵、景観の素晴らしさを売りにしているし、その景色を見に行く人は大勢いて、
多くが満足しています。
その意味では、景色が素晴らしいところは珍しいわけではありません。
当たり前の景色でも、価値があるとされるときもあります。
数年前、観光関係のセミナーで講師の方がスライドを見せながら、
ツアーは単に観光地・観光施設に連れて行くだけでなく、その道中にも物語があり、
ちょっと気になる景色があったらバスを停めて降りて見たその景色が、最も印象に
残ることもあるといった趣旨のことを話され、そのときの画像を見ていたのですが、
そんなに印象に残るような景色だろうか?と思ったことがあります。
ありふれた景色だと思えるものも、地域ごとに歴史や文化、生活スタイルがあり、
そうした物語とともに提供された景色は、観光客に感動を与える観光資源となる
といった趣旨なのかとは思いつつも、物語を知らない自分はこの景色を見る目的で
旅行はしないなと、その時思ってしまいました。
単に美しい景色となると、例えば富士山の写真など、どう撮っても美しいと
思えるものですし、多くの観光地の写真もそうです。
いろんなところに行って見たいという動機に、映像や写真で見たものを
自分の目で見たいと思い、実際に見て満足するというのは、一般的なことかと。
日高王国ではどうでしょう。
様似町は親子岩、えりも町は襟裳岬、この辺は普通に見映えするかと。
浦河町は・・・・・どこになるでしょう。
で、最初に戻って、浦河町の景色を「素晴らしい景色」と言ってくれた夫婦は、
何か浦河町の写真か何かを見て、それと同じ景色を見て満足されたかというと
それとは違うし、車から降りて、特定の場所から特定の方向を見て、素晴らしいと
言ってくれたわけでもありません。車の中で、自分が何か素敵な浦河の物語を
語ったわけでもありません。
列車の車窓から眺める景色に似たものでしょうか。
そういえば、長期滞在していた別のご夫婦が、
「多分、浦河の道路は全て通ったよ」とにこやかに話されていたのを思い出しました。
そうやって浦河の景色を満喫されたのでしょうね。
(スタッフH)